- 赤ん坊は時間を生産的に過ごすべきではない。本人のタイムテーブル以外のものを押し付けてはならないのだ。
- マイクロマネージメントというのはビジネス用語だが、現代の育児法は、この経営的成功をおさめた哲学を家庭生活に応用しようとする。
- こまかいことをいちいち管理されると、子どもは親から無言のうちに、自分で自分のことができない人間だと思われていると感じざるを得ない。いいかえれば親の基準にあわせて正しいことをしないかぎり、だめだといわれていると意識化で感じとる。
- 子どもが肌でやすらぎを感じ、生活を自分のものとして感じるには、最終的に自分自身を総合しなければならない。そうでなければ比喩的な意味で、生涯を通じて親との格闘にとらわれるだろう。自分の展望を発展させられない子どもは、青年期以降に混迷におちいるだろう。つまり、両親の望みどおりにしようとする思いと、その反対のことをして自由と個性を手に入れたいという願望との間で葛藤する。
- 高度に知的な人間が、子どもの問題で頭をいっぱいにすると、ついには子どもの生活の細部や、あまりに小さなことがらに気をまわしすぎるようになる。自分の生活を捨てることが、いつから責任をはかる尺度になったのだろうか。
- ある点でわたしたちは、気づかないうちに子どもに、親の生活に意味を与える任務を負わせているのかもしれない。それは彼らが求めたわけではない、長期的な大きな重荷である。
と、書いてたらきりがないわけですが。
高度に知的な人間ではないけど、ぼんずのことで頭がいっぱいな日々。妊娠してから今まで、できるだけベストなものをぼんずに与えようと努力してきた。情報を集め、妊娠中の胎児の発育状態から始まり、生まれてからもその月齢の注意点やらをニューズレターや育児書で読み、、どの育児グッズが一番優れたものか調べまくった。ぼんずとできるだけ一緒にすごそうと努め、自分のことは後回し。楽しいけど、あまりに際限がなくて疲れてきたところ。一生懸命になりすぎなのは自分でもわかるのだけど、かといってどこでやめたらいいのかわからない。ある程度情報収集というものは必要だけど、常に不安で何か足りないんじゃないか、見落としてないかって考えてるのはよくないなあと思っていたところにこの本。やっぱり良くないのよ。
一番耳が痛かったのは、最後の部分。ずっと「おかあさん」になりたいと思ってて、ぼんずのおかあさんになれてそれだけで嬉しくって、自分の人生は~とかこれからどうやって生きよう~とかいう問いには、耳をふさいであわあわ叫んで聞こえないようにしてるんです。今はぼんずのことだけ考えていたくて、息が詰まるとかいいながらぼんずと二人べっとりで家事もままならん生活が楽しくて。でもずっとこれじゃ、ぼんずに負担をかけるんだろうなあ。それにね、育児で忙しいって言えることに、なんだかほっとしてたりもするんだ。もう自分探しをしなくていいって。それは本末転倒なんだね。
親がしてやれることは、習い事や勉強で子どもを忙しくさせるのではなく、親の生き方をみせてやることだってこの本ではいうんですけど、それが難しいからマニュアルだとか手っ取り早い育児法にはしるんじゃーん、と思うわけです。ぼんずに胸張って見せられるんだろうかそのまんまの自分。自分の生き方を見つめるってのが一番難しい。
だからやっぱり今だけ夏休みをおくれ。ぼんずとまだ蜜月を楽しみたいの。


うわー、身につまされることばかりです。
私も娘に割とべったりで(とはいえ、最近は一緒に家にいても私は私でPCに向かって、娘は1人で遊ぶというのも多いのですが)、3歳神話(いまや6歳神話!?)にどこかとらわれていて、主婦の仕事も中途半端(特に夫への対応)、1人の人間としての人生設計も想像ばかりで実行に移せず。
ひとそれぞれ子どもの接し方ってあるから、なるべく他人とは比較しないようにしていますが、「自分を生きる」という点ではもやもやしています。
「親の生き方を見せる」。まさにそうなのよねぇ…。
ねえ、難しいですよね。子どもにはできるだけのことをしてあげたいけど、先々のことも考えないとって。。難しいね。でも子どもが小さいうちはしょうがないような気がします。のんびりいきまっしょい。ちゃん・りーさんは大丈夫よ。食べ物に気をつけたり美味しいものを作るっていうのもひとつの姿勢だと思いますもん。