アニメでは、おじいさんの偏屈が原因で町の人から嫌われているという設定なのですが、それより何より、原作では教会に行くのをやめて村人との関係を絶ったことのほうが忌み嫌われる理由だったように思えました。その時代では教会がコミュニティの中心であり、絶対的な権威を持っていたんだと思います。物語のあちこちにそれが感じられます。今でもそういう地域があると聞いたことがありますし。だから教会に来ない人というのは、雪男くらい人をやめた存在だったのではないでしょうか。
アニメでは最後まで村人が、「あのじいさんがあんなに優しくなって」と驚くシーンがたびたびでてくるのですが、原作では、一瞬で村人全員の考えが変わるシーンがあります。それは、おじいさんとハイジが日曜日の礼拝に来たときなんです。礼拝のあと神父と和解してからというもの、おじいさんとハイジは村の一員として認められます。
おじいさんはもともと性格的にまともな人だったから(とはいえ若いころは博打で親の身上をつぶしたワルだったそうですが)、最初からハイジをきちんと育てられたし、ゼーゼマン家の人によくしてあげられたんだと思います。アニメだと信仰の話がぽっかり抜けているので、偏屈で話しべたのおじいさんがどんどんおしゃべり上手でいい人になってしまうのに納得がいきませんでした。だから原作を読んですっきりした感じ。
キリスト教の力が強い国にいると、ハイジのいた世界もなんとなくわかるような気がします。教会がコンビになみに街に並んでいるのを見て、きっと昔は生まれたときから死ぬまで教会のお世話になるのが普通だったんだろうなと思うのです。
それでも原作を読んでみると、改めてアニメーションの良さがわかります。ある放送では、雪が降ってペーターと山にいけなくなり、ハイジがおじいさんと雪を見て終わったりするのですが、そのゆっくりとした時間の流れがとってもよかった。ほぼ1年間という長い放映期間だからあれほど丁寧に物語を作れたんだろうなと思います。本を読み通せたのも、アニメのおかげでビジュアライズできたからです。原作より好きだった点は、ロッテンマイヤさんの人間性に深みがあったこと、クララが立って歩けるようになるまでのプロセスが丁寧に描かれていたこと。原作ではさっさと立ってあるけるようになるんです。余談ですが、アニメで、アルムの小屋に雪が積もり、窓から雪が入ってきてハイジのふとんに降り積もってるシーンは衝撃でした。「わあい、雪だ雪だー!」とハイジは起きて下着姿で雪をはたくんですが、凍死してないか普通?
小さいころの記憶では、パンとチーズとミルク、こわいロッテンマイヤーさん、クララが立った!しかなかったのですが、大人になって読んで(見て)、とても深い良い物語なのだとわかりました。ハイジがフランクフルトでアルムの山を想うつらい日々も、アメリカに来た当時の自分と重なって、身につまされながら読みました。ぼんずは読んでくれるかな。。。やっぱり女の子向けのような気がする。
前回同様ぜんぜんまとまらないのですが終わります。


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