ご飯のとき、私はぼんずに必ず一度怒っていました。それか嫌味を言う。それ食べなかったら怒るからねとか、食べるっていっていっつも食べないんだからとか。ぼんずはそれでよけいに食べなくなっていました。食卓では怒りたくない、と思っていてもなんだか緊張してしまう。私の中の何かが刺激されてしまう。先日二人きりの朝ごはんで、またくだらないことで恐ろしく怒鳴ってしまい、自分で情けなくなって泣きました。私の泣いた顔を見てぼんずも泣きました。二人でひとしきり泣いて、それから落ち着いてもつもつご飯を食べました。
食事については私がやるべき課題だと思いました。どうしてそんなことで怒るの?と前に人に言われて恥ずかしかったのですが、確かにおかしい。今まで私にとって食事はどんなことだったんだろう?どうして緊張するんだろう?ぼんずを見ていて何を刺激されるんだろう?
参加させてもらったhand in handのスタディーグループで、食事について話すことにしました。前にも書きましたが、ここの育児法では親同士がつながって精神的なサポートをしていきます。育児やそほのかのことでも、辛いことや心に引っかかったことなどを決められた時間に話します。その間、聞くほうは集中して話す人に思いやりをもって聞く。アドバイスや自分の好奇心のための質問は一切してはいけません。これをリスニングといいます。例えば子供に怒鳴ってしまいそうなとき、自分がコントロールできないと思ったときにパートナーに電話してリスニングしてもらうと、かなり落ち着くことができます。
小さいころの食事の思い出、何を食べていたか、食事についてどう思ったか私は話しました。私はとても偏食でした。数種類のものしか食べた覚えがありません。それについて親にあまり言われた覚えはなかったし、母は忙しくてそれどころじゃなかったんだと思います。中学にあがってからはお弁当になりましたが、ごはんに卵焼きとハムがのっかっているような簡単なものでした。おいしかったしありがたくて文句はいわなかったけど、他の友達の、専業主婦のおかあさんが作ってくれたタコさんウィンナーや色とりどりの野菜が入ったお弁当がちょっと羨ましかった。他のうちにご飯を食べに行くと、テーブルにお洒落なランチョンマットが敷いてあったのもすごいと思ったし、憧れでした。
そこまで自分で話して、気がついたんです。自分にとって食事はコンプレックスだったんだと。食事は、小さいころ他の家でみたように、お皿がいっぱい並んでいて栄養満点じゃなければいけないと思っていたんです。特に私は母のように働いていないのだから、そうしなくてはいけないって思っていたような気がします。それにぼんずを付き合わせてた。だから付き合ってくれないぼんずに、理想どおりできないことにイライラしたのではないか。そんな風に思ったら、ぼんずに申し訳なくて涙が出ました。
それから一週間たちましたが、ご飯のときに一切怒っていません。食事のときの緊張感がすっかり取れてしまいました。ぼんずは相変わらず好きなものしか食べないけど、気にならなくなりました。それによくみると、ぼんずなりに考えているというか、炭水化物しか食べなかった日の翌日は納豆しか食べなかったりしてバランスをとっているようです。食べられないときは二人で歌を歌いました。私がリラックスしていればぼんずは食べることもあるし、それで食べないときは本当にいらないのだと思うようになりました。
まだ自分の食事観をもっとみつめたいのでリスニングも続けたいと思っていますが、ひとまず答えをひとつ見つけてほっとしています。自分のことがわからずに、ただ我慢したり違うことでストレス発散させていてもこうして解決できなかったと思います。
子育てが難しいのは、ひとつに自分の子どものころのことが影響するからではないでしょうか。いいこともいっぱいあるけれど、自分がつらかったことを思い出し、それを子どもにも無意識に押し付けてしまうこともある。自分はこうだったから子どもには絶対しない、とか。前に読んだ育児本に、子育ては自分の過去を思い出してつらくなることがある。そういう時は周りの人に話しなさいと書いてあったんですが、よっぽど近い間柄でもなかなか話せないことではないかと思います。特に私はオープンなほうではないので、自分からそういう機会を見つけるのは難しい。hand in handの方法を知ることができてよかったと思っています。


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