子育てだけではなくて、ツマとしてのあり方も参考になりました。刺身のほうじゃありません。ちなみにこの本、アマゾンより出版社で直接買うほうが安いのですが、ちょっと気合が要るかな。。
「親に頼らねばならない依存の時期にあって独立の要求を起こす時が、いろいろな可能性の空想を拡げるのに一番よい時期である。(中略)この時期には、子供の示す独立の可能性を認めてやって、相手が簡単にできることを命令して行わせる。相手が十分わかっていることを話して聞かせる。又やれることをやらせる。これが最初の子どもの心の中に可能性の空想を育てるもとである。(略)
子供が無限の可能性を空想して、それを自分のものにするかどうかという一番の急処は、この依存期にあって、独立の要求を起こす時期である。この時期に、無理な叱言、判らない叱言、できないことの押し付けをやると、子供は耳に蓋をしてしまって、大人になっても注意の集中密度しか求めない習性が出来上がる。
(中略)その最初の時期が三歳から五歳、(略)幼稚園の時期は子供の潜在意識を訓練する重大な時機であり」、
これをやりそこなうと独立心のない依存する大人が出来上がるそうです。あーあ反対のことをやってる私。これ読んでから、怒りたいときに、この子は独立の時期なのかなと思うとちょっと怒りが収まります。
「判らない叱言を言ってはいけない、叱言を自分の鬱散の為に使ってはいけないということである。叱言を言うほうと言われるほうでは、同じ時間でも感ずる長さが違うのである。それを知らないと、言っている者は自分の時間でつい言ってしまい、叱言を言いながらどこかで自分の快感を追ってしまうことがある。そういうときにはもう度が過ぎてしまっている。」
言葉を選んで短く的確に、子供のわかる言葉で叱るということだそうです。快感を追うってすごくよくわかる。
「躾というのは、身を美しくするという言葉である。(中略)世の中で独立して生きていくためには、いろいろな躾が要る。躾がないと、団体行動ができない。躾がないと、持っている美しさを発揮することができない。(略)躾は身に着けるもので、知識として頭でくっつけていても身体にくっつかない。」
。。なるほど私が育児本をいくら読んでも身につかないのは、知識として頭に入れてしまってるからだなと思います。
「そんなことを人に見られたらどうします」という怒り方。「自分の満足とか自分の両親の表れとしてやるのではなく、人に見られたら。。と絶え間なく他人を意識している。(略)子供の頭の中に、自分の行動を自分で責任を持ってやっていゆく以外の、他人の目で動いてゆくという考え方を入れるということは、暴力で躾をするのと同じことで、子供の自発的な行動ではなくなってしまう。」
。。私も時々やってしまいます。こんなことをやるとXXさんが怒るよって。後ではっとして言い直すんですけど、なんで言いたくなっちゃうんでしょうね。責任転嫁?
長くなるんで続きます。


>こんなことをやるとXXさんが怒るよって。
えぇー、こっぺさん、そんなこと言わない感じだけどなぁ~。
私は知人が知人の子に向かって
「そんなことしたらSuzzyさんに怒られるよ。」
って言ったのを聞いてちょっと青筋入りました。
なんかしょっちゅう言ってるみたいで、
私ってどんなオバサンやねん、ってツッコミ入れつつ、
なんとなーく、その躾方法に疑問を持ったのでした。
ま、ほんとにそんなことしたら私は怒るよって話だったんですがね。
そもそも、よそのオバチャンだってよその子叱りたいんですけどね。
難しい世の中にになってきていますねぇ。
うーんなるほど、ちょっとニュアンスが違うかもしれないなあ。そういうことするとお父さんに怒られるよ(私はどうでもいい場合)とか、ご飯食べないときに今度園の先生に怒られるよとか脅すかなあ。いや違わないかも。怒られるからなんだっちゅーねんて話ですよね。
私はですね、あまり考えずにひとんちの子を怒っちゃうことがあります。危ないことしてるとか言ってもやめないときとか。ちょっとやりすぎたと後で反省するんですけど。私はぼんずが悪いことしたらかまわず怒って欲しいほうなので、自分の子が怒られて嫌っていうのがよくわからなくて。おばちゃんなのかなあ。。。