偏食の話題、何度も書きますが。
アマゾンにはなかったのですが、「子育てごはん わたし流」は20年ほど前に出版されたものです。著者の奥園壽子さんがお若い。小さな子を持つ家で時間の合間を使って作る料理レシピが載っているのですが、写真はほとんどなく、材料でなんとなく味がわかってしまうくらいのシンプルな料理が並んでいます。どれも簡単に作れておいしそう。
面白いのはレシピの間にある子育てごはんの気持ちというコラムでした。まるで私の状況と同じことが書いてあり、涙ぐんでしまいました。奥園さんのご長男も全部食べられない、食べるのが遅い子で、ご飯のとき奥園さんはいつもいらいらしていたとか。自分の作ったものを残されるのに異常に敏感で、残してもいいじゃないかと頭の半分はわかっていつつも、もう半分ではどうしても許すことができない。私もそうなのです。
子どもは大丈夫、いつか食べるようになる。子どもは自分の食べる量を知っているから親は栄養のある食事を与えることだけ気にかけて、食べるかどうかは子どもに任せる。頭ではそう思っています。だけど毎日毎日、日に三度、作ったものをつき返され、食べるのはふりかけごはんとブロッコリを一口とから揚げだけが続くのが本当にストレスなのです。子どもは偏食でも大丈夫と言っても、細胞が新しいから食べるものの成分を最大限吸収し代謝できるというだけであって、根本的には大人と同じです。不健康な食生活を続けていれば、あれも足りないこれも足りないと心配になってくる。事実、一度風邪をひくとなかなか治りません。まだ小さいので体力がないのはわかりますが、やっぱりしっかり食べていないせいだと思ってしまいます。ぼんずもぼんずで、かなり頑固なタイプだと思います。2歳のころから食べるものがあまり変わってないです。
それでも、そのストレスは食事のときの一過性のものなので、自分の気持ちを深く捉えて分析するということがなかなかできませんでした。なぜ自分はこんなにいらいらするのだろう。なぜぼんずがご飯を食べないということが、こんなに私の怒りのつぼを刺激するんだろう。考えても答えが出せないでしました。
この本によると、それは結局自分の子育てに対する自信のなさの裏返しなのだと。「たとえば子どもが病気しないとか、虫歯がないとか、そういうことで自分の母親としての力量をはかっています。そしてそれが自己満足と同時に自信でもあるわけですから、少しでも崩れるのが不安でなりません。子どもがしっかり食べてくれさえすれば、元気で明るい子が育つような気がしていたのです。」 ああ、思いあたる。
子どもがゆっくり食べる姿が母親の理想像から大きくかけ離れていたからいらいらする、というのもうなずけました。私も、よくよく考えてみると、食事風景の理想がものすごくあるのです。お母さんは料理上手で何でも作れて、子どもはランチョンマットひいたテーブルで出た料理をがつがつ食べる。ランチョンマットがミソです。子どものころ、友達の家でランチョンマットをひいてご飯を食べているのがとてもうらやましくて憧れでした。うちは母が働いていたので凝った料理を食べることがほとんどなかったので、専業主婦のおかあさんの家庭にすごく憧れていました。母には感謝していますし、食の安全について教えてくれたのは母でしたが、なんだかどうしようもないコンプレックスが私にはあるのです。それが今も、食への関心につながっているのだと思います。でも、それとぼんずの食べ方とは関係ない。ぼんずが問題なのではなく、「私」と「食べない食べるのが遅い子どもにイラつく心の問題」なのです。
さてそのために何をしたかなのですが。まずは子どもと二人きりで食事をするのをやめたそうです。料理上手だからこそできるのかもしれませんが、とにかく人を呼んで一緒に食べることにしたそうです。外に持っていって食べたり、持ち寄ったり。そうして盛り方や食べ方を変えてみる。同じ悩みを持つお母さんと気持ちを共有する。それから、お弁当にして公園で食べ、食卓の緊張感をなくす。決定的だったのは、これは私にはできないことですが、二人目の子ができたときに憑き物がすっかり落ちたように、食べないことを気にしなくなったそうです。二人の子育てで精一杯になって食べ残しに意識を持っていかないことが一番の解決策だったと。
それから、嫌いなものでも一口だけ食べさせる、それも食卓じゃなくてキッチンで味見。そのほうが子どもが寄ってくるそうです。それと、料理を作っているときに今日のごはんは世界一おいしいから、とか一番おいしい中華料理だよ、とか気分を盛り上げて言ってみる。やってみると、作ってる私もその気になるから不思議。今日はすっごくおいしいごはんを作ろう!と張り切っちゃう。
食事を大事にしながらある一方で気にしない、というのは難しいですが、人の手を借りればなんとかなるのかもしれません。といってまた行きつ戻りつするんだけど。
ひとつだけ、ぼんずが偏食でよかったと思うことがあります。それは、よくある子供の食事に関する本に書かれてあることがまったく役に立たないのがわかったということです。食事は大切、今から正しい食生活をしないと成人病予備軍になる、成長を妨げるだの脅しがあり、食べさせるためにはやれ野菜育てろだのかわいく飾ってみろだの書いてあるんですが、そういうことと食べないことは関係ありません。食べることの大切さを教えたい、とかなりがんばってる栄養士さんもいますが、無理なものは無理です。催眠術かけたり小さく切って味がわからなくして食べさせるとかしない限り。自分から食べるのを待つしかない。できることといったら、切り方や味付けを変える、つまり料理技術を上げることしかない。それで食べてもらえなくてもやりすごす術を考え続けていく。
ただし、食事マナーはまた別の話だと私は思っています。今の年齢なら、食事の挨拶をする、なるべくフォークや箸を使う、食べているときに汚いものの話をしない。各家庭で許容できる範囲は違うと思いますが、うちは以上を大事にしています。そういうことは日々の積み重ねだと思うから。これにもうひとつ、食事中は怒らない、をつけたいですけど<私に。
最近は、栄養士医者の本よりも食と健康に向き合っている料理家の本に惹かれています。奥園さんはそういう人だと思います。小林カツ代さんもすごい。うまくいえないけど食べるということに1本筋が通っているというか、哲学を持っていて本物なのです。エンターテイメントとしての料理じゃなくて、日々大切な人のための料理を作っている人。国の栄養行政の意向そのまんまとか、科学ありきとかで食は語れない。毎日体を動かして料理を作る人だけが見えてくるものがある。料理の腕はいつまでたっても上がらないけど、いつかそれが見えたらいいなあと思っています。久しぶりに濃くってすみません。
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