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百聞は一見にしかず

先週から1週間、遠方から友達が遊びに来ていました。ほんとうに楽しかった。寝る間も惜しんで一日中お喋りしたので彼女が帰ってから眠くて眠くて、なでしこジャパンが頑張っているときも昼寝してました。笑

先日書いたように、ぼんずと私の関係がなんとなく行き詰ってたのですが、彼女が来てくれたおかげでがらっと変わりました。プリスクールの先生をしている彼女のぼんずへの対応をみていたら、本を何冊読んでもわからなかったことがとてもよくわかったのです。子どものペースに合わせる、子どもを良く見るってことが。同じ内容をぼんずに伝えているのに、私はやっぱりぼんずがわかるように言ってなかったんです。私が言っても聞かないことも、彼女が言うとすっとぼんずが動く。親とそうでない人の違いももちろんありますけど、まるで魔法を見てるみたいでした。冗談抜きで。

今までのパターンは、私が何かするようにぼんずを促しても聞いているんだかいないんだかまったく反応を見せず、それを3度くらい繰り返して私が怒鳴るというものでした。または、私が何かしてと言うとぼんずが嫌だと激しく抵抗するので無理やりやらせる。ほんとうに疲れました。

彼女から学んだことは、何かをさせたい時には予めぼんずにしっかり言い聞かせること。私が思っていたよりももっと前に伝えるべきだったんです。それから、ぼんずが騒いだときには、なぜ嫌なのか、どういう気持ちなのかをしっかり聞くこと。ぼんずの気持ちを受け止めること。これで結構納得するんですぼんずは。

でも上に書いたことって、育児書ではよく書いてあることです。それでも身につかなかったのは、育児は本で覚えることではないからなのだと思います。実際に声の調子や子どもの反応など見て覚えることなのだと。百聞は一見にしかず。彼女が来てくれて、ほんとうによかった。この時期の子どもは、大人のやりようでずいぶん変わるものなのだとよくわかりました。悪い例を見せちゃいけないなあ、良い道しるべになるように、私もがんばろうと思えましたです。

プリスクールの先生は、子どもにも親にもほんとうに大事な存在だと思いました。勉強以外の、子どもの性質や行動パターンを見てよい方向に導いてくれる人。でも異文化の中での育児は、ほんとうに大変ですよね。日本にいたって信頼できる保育者に出会えるのは少ないのかもしれませんが、言葉や文化の違いで先生との信頼関係が結べなかったり、誤解されることもある。うちは日系プリなのでまだ恵まれていますが。そんな中での育児は不安がいっぱいだけど、周りと支えあってやっていきまっしょい。

母の失敗

その1.昨晩寝る前に三匹のこぶたの話を聞かせていたときのこと。

ひとしきり話したあと、ぼんずも三匹のこぶたみたいにお母さんのおうちをでてひとりで住むのかなあ、とつぶやいたら、いやだよ僕はおかーさんと住むんだよう、としくしく泣き出した。ごめんごめん、そうだよね今そんな事言われてもね。すまんかった。

その2.出かけるのに靴を履かせていたときのこと。

履きづらい靴なのでなかなか履けない。もうっこっちの簡単な方にしてよっと違う靴を履かせたいのにぼんずはその履きづらい靴を履きたい。ひとりで履けないなら園にははいてけないよっ!とイライラして怒ると、すごく頑張って履いて、でもつま先をさして何かオカシイという。おかしいなら他の靴を履きなさいよっ!とこれまた怒りながら脱がして手を靴の中に入れてみると、紙が詰まっていました。。。。おニューの靴に詰めてあるあの紙。これじゃ履けないよなあごめんよお。こんなの詰まっててよくはけたなあ。。

こんな私でも母やってます。ぼんずよ許して。

落ち着いた~

えー、前回のエントリでさんざ落ち込んでましたが、落ち着きましたはい。

自分も夜間診療してくれる医者に駆けこんでみてもらったらば、中耳炎なりかけてて。お薬もらってほっとしました。

先輩ママと話をしたら、これまたもやもやがとれてすっきりしました。3,4歳が集団生活に入って病気を繰り返すのは仕方がないってこと、先輩に言ってもらえると安心するんです。ぼんずが鼻を上手にかめなくてティッシュを無駄に使うと言ったら、まだ小さいんだからあたりまえでしょ!!とぼんずの味方になってもらったり。

親がテンパッてるとき、つい子どもにあたってしまうような精神状態の時、周りの人の助けがほんとうにありがたいです。何気ない一言に私もぼんずも救われる。家族が近くにいない分、そういう存在がとっても貴重だってわかりました。私にひとりで子育ては、ムリ!!

今日は家でぬくぬく、ぼんずと一緒に遊ぶことだけ、休むことだけ考えます。あっでも本当に食べるもんが冷蔵庫にないや。おにぎり食べてりゃいっか!

言うこと聞かない!

ここ最近のぼんずは、言うことを聞いてくれないです。やめてって行ったことをなんどもやります。聞こえてない、または聞こえていても体がいうことを聞かない感じです。体でとめるとか何か別のアプローチが必要なんだなきっと。気持ちに余裕があるときはそれでも付き合えるんだけど、朝の忙しい時とか、こちらが切羽詰ってる時にされるとほんとにたまらんです。それに毎日毎日おんなじこと言わす。朝起きて、ご飯をだすと食べたくないとかお腹痛いとかだらだらする。まいーっかいまいかい。

今朝は私がぶっちり切れて、ぎゃあああ何度同じこと言わすんじゃあいいかげんにせぇぇぇと家具が震えるほど怒鳴って別室に自分タイムアウト。園に行かなくちゃいけないのでオットーさんが後のことをやってくれる。このパターン、最近続いてます。近所に絶対あぶない母親だと思われてる。でもどうしようもなく向き合っちゃう。お互い逃げ場がないんです。年明けてから心配事があってテンパってるし、自分のキャパの無さにほんとうんざり。

オットーさんに、気持ちは分かるけど先にキレたら負けだろと諭されてしくしく泣く私。でもその後でぼんずにおかーさん何してるのと言われ(ここがまだ幼いですよね~)、泣いてると言えずかくれんぼと答えました。それで嬉しそうな顔したぼんずにまた泣ける。

ぼんず見送った後も泣きたくなって人前でえんえん泣き、すっきりしてぼんずを迎えに行って公園行ってばったり会った園の友達とそのまんま延々暗くなるまで過ごし、家に帰ってぼんずを風呂入れてメシ→はみがき→で、寝てくれるかと思ったらただいま元気におもちゃで遊んでます。母はジェットコースターのような一日で疲れたのでまたオットーさんにすべてを託して寝ます。これができるから私おかげで生きてられんの。おやすみなさーい。

。。。。そう上手くいかない。フルで読み聞かせ、お話やってちゅどーん。

自分と向き合う

友達の日記にインスパイアされて。

私が子供をほしいと思ったのは、自分探しに疲れたからっていうのもひとつの理由でした。アメリカにきて、カレッジ行って働いて、でも思うようにできなくて、この国で自分の居場所が見つからなくてずっと閉塞感を感じていました。もう自分は終わったのかもしれないってくらいに進む道がわからなくなって。それで子供、ってなんて短絡的。ぼんずにも恥ずかしくていえない。それでほいほいと神様が授けてくれるわけでもなく、時間がかかってやっとぼんずが生まれ、あたしはやっと前に進めるんだ、お母さんという仕事をもらったんだ、もう自分探しなんかしなくていいんだって思いました。

でもぼんずが生まれてからというもの、ぼんずと同じころの自分を思い出し、忘れていた過去のあれやこれや、これまでかかわってきた事柄や人たちのことを思い出しました。

それにぼんずと接する中で、自分の中のわだかまりや変なこだわりが見えてきました。たとえばこんなことです。

  • なぜぼんずが偏食だとこんなに腹が立つのか?
  • なぜ育児にいつも不安を感じるのか?
  • なぜ昔の辛いできごとを何度も思い出すのか?
  • 私は私の母と違う育児をしたい。なぜそう思うのか?

それで自分はどう生きてきたか、どんな人間なのかって問題を日々つきつけられるようになったんです。これは予想外でした。自分探しをしたくなかったから子供がほしかったのに、自分と向き合わなければ育児に納得がいかない、ぼんずをぼんずのあるがままに導いてやれないと思ったんです。自分の過去に納得して決着をつけなければ、私のわだかまりをぼんずに引き渡すことになる。いやなものをぼんずになすりつける。具体的にいえば、ぼんずが食べないのを見て私が腹を立てる→腹を立てる根底にあるものがわからないから怒るのがとまらない→ぼんずが食事の時間自体を嫌うようになる とか。簡単に言えば私がハッピーにならなければぼんずもハッピーになれないってことです。、

ほとんどの育児書には、親は我慢しろとしか書いてありません。絶対怒らない、怒りそうになったらその場から逃げなさい、あるいは子どもにタイムアウトという方法をとって遠ざける(子どもによってはこれがいいということもあるかもしれませんが)。どれも私にはできませんでした。

そして私は話すということを学びました。信頼できる人たちに自分のことを話す。話すことで自分で答えを見つける。自分の過去を考察し、それまでとは違う意味をみつけて(あのとき本当はこうだったんだといったような新しい物語を作って)決着する。そうすることで、わだかまりが消えたり、穏やかな気持ちでいられることが多くなりました。そうしてお互いを支えあって誰かとつながっていなければ、子育てなんて絶対できないです。一人で子育てなんて無理です。最近増えている幼児虐待のニュースを見るたびにそう思います。

今はネットで遠い人とともつながることができる。そうして昔はあった共同体の役割をネットで見つけることができるかもしれない。

なんか話が途中で変わった気がするのですが、もう頭が煮え煮えなので終わります。

「そんなおおげさに考えなくても」と読んで思った方は素晴らしいです。きっと過去も今も自分に納得できる生き方ができているのでしょうから。

「無償の愛」は子から親に

大好きなブログの紹介でこの三砂ちづるさんの記事の存在を知ってから、何度も何度も読んでいる。

「無償の愛」は子から親に与えるもの

特に後半の部分。長いけど引用します。

愛してやまない故マイケル・ジャクソン(筆者は同い年である)はオックスフォード大学における講演で、「無償の愛は、子供から親にむけて与えるものです。そうすれば、親もどのように子供を愛するか、を学ぶことができます。世界は、そのようにしてこそ、愛に満ちたものになるのではないでしょうか」と言っている。

親もまた、普通の人間なのだ。つらいことがあったかもしれないが、親を許してほしい。自分の親を許すことで、あなたの子供は、よりいとおしい存在になる。私もあなたも、親として、また、間違うかもしれないが、いつか、子供には許してもらうしかない。

子供を持つ、とは許されることを知ることだし、親になることは許されることを学ぶことだ。できれば、少しでも子供たちがつらい思いをしないように、親として精進できることはしておきたい、とおろおろ思うばかりである。

ぼんずに大きな声をあげたり、乱暴に扱ってしまったりしたときでも、ぼんずは私を許してくれる。おかあさん大好き、おかあさんがいいって。そんなふうにぼんずの想いを受け止めているうちに、自分もまた、親を許していたことを思い出した。そのときの自分はほんとに小さくて、善悪もわからず、一途に親を愛してた。そんな大事なことを思い出しました。子供ってすごい。ただ好きって言ってるだけなのに。

ぼんずにとっていい親になろうとするけれど、自分の親を見てけしてこうはなるまいと思うことはあるけれど、悲しいかな嫌なところだけそっくり受け継いでる私。間違う可能性は十分、いやもう間違ってるかもしれない。でも努力は忘れたくないと思う。

過去を思い出すということ

日本の育児番組で、こどもの留守番がテーマになっていました。あるお家の、おかあさんが1時間ほど出かける間に、小学2年生と5歳の子供に留守番をさせていましたが、番組スタッフが仕掛けたわなに、すっかり子供たちははまってしまいました。電話に出てしまい個人情報を教えたり、電気の修理だという訪問者にドアを開けてしまったり、おかあさんが待っているから一緒に行こうという誘いに乗ってついていってしまったり。見ていてどきどきしました。

こちらではこんなニュースが。5歳の子供が母親の留守中に屋根から落ち、母親が逮捕されたのですが、家にいなかった時間は50分だとか。日本のお母さんの防犯意識が甘いとかそんなんじゃなくて、単に文化・環境の違いなんだと思います。男の子たちは、今までお母さんにしっかり守られてきたって証拠なんだろうな。

自分のことを思い出してしまったんですが、私も小学校1年生のときから、母が仕事のときは妹と家で留守番していました。母が会議などで夜10時を過ぎるときも、店屋物を母が頼んでくれて食べてました。お風呂とかどうしたんだろう。1年生からはさすがに無理だけど、もう少し年齢が上がってからは自分でお風呂洗ってお湯入れて入ってたんじゃなかったかな。防犯意識もたぶん周りの子に比べて高かったような気がします。しっかりしてたわけじゃなくて、そうする必要があったから。夜は防犯のために、部屋を真っ暗にしてテレビに毛布をかぶせて外に光が漏れないようにみていたこともあります。

そういうのを、子供の私はアホだから学校の作文に書いちゃったりして母を泣かせました。周りに親戚もいなくて、人の手を借りるにも限度があるから自力でがんばる。そういう家は今もたくさんあると思います。

育児をしていると、忘れていた過去を思い出すことがあります。ちょうど私がいまのぼんずの年齢の頃にいろんなことがあったので、思い出すとちょっとしんどい。そういうときには、こどもだった自分を、頭の中でぎゅーっと抱きしめます。こんな私がちゃんとぼんずを育てられるのかって自信がなくなってしまう。子育てにはこんなことがあるなんて、子供がいないときには思いもしなかった。

自分の過去を振り返ると、ぼんずにはああすまい、こうすまいというような考えが出てきてしまう。ぼんずに留守番をさせないように(まあさせたら警察沙汰になる国にいるんですけど)、寂しい思いをさせないように家にいようとか。ぼんずのことを考えているようでいて、実は自分のことを考えている。自分ができなかったことを子供に託すという話はよく聞くけれど、自分でちょっと怖くなります。

ぼんずにはぼんずの人生があるんだもの。過去を思い出しつつでも振り回されないようにしたいです。

でもそうして落ち込んだ後でさらに思い出したのは、時間が少しでもあいたら職場から自転車で家に帰り、留守番してる私たちの様子を見に来てくれた母の姿です。すごく嬉しかった。あれがあったから、情緒的に問題ありつつも道を本格的にそれずにすんだのだろうな。子供の自分は寂しいだけじゃなかったんだって安心しました。楽しかったことやうれしかったことは、ぼんずにも積極的に経験させてあげたい。ちょっとテンション低い日記でした。

どこの親も心配は同じ

たまあに英語のプレイデート。いやあ、私の英語って日々むちゃくちゃになってますがな。ぼんずは何がなんだかさっぱりわからないようだけど(ハハとしてちょっと切ない)、トム(仮名)くんは好きみたい。

友達はアジア人。母国語と英語と両方を子どもに話していて、そのおかげでトムくんはプレスクールも問題なく通い始めたそう。それはよかったねえと話したのだけど、やっぱり外国人の親なら絶対悩む、母国語をどうキープするかという話になった。私と同じ不安を彼女も抱えている。ほんとにねえ、どうしたらいいんだろうね。

少数派言語の国の子どもたちは、どうしたって英語に慣れていく。母国語を読み書きする訓練をしなければ、最初話せていてもあっというまに失ってしまう。心のうちを英語で話しても親に深く理解してもらえなくて、傷つく子どもはたくさんいるらしい。それが私も彼女もすごく不安に思っていることなのです。

ツールとしての英語はだいぶ理解できるようになりました。ノンフィクションの本なら読めるし(わからない単語すっとばし読みって読んでるっていうのか)、ニュースも大体わかる。会話はやってないぶん在米3週間みたいなレベルで止まってるけど、日常ではあまり不自由してない。

だけど言葉の表現そのものを楽しむ小説やそのほかの芸術ものはまったくだめ。面白さがわからない。映画だってストーリーはわかってそれなりに楽しめるけど、日本語訳されたものを観ると印象が全然違う。言葉の重みが全然違う。10年以上いてこれですから。私の言語能力の限界なんだと思います。

だから、成長したぼんずが私に大事なことを英語で打ち明けてくれても、その重みを受け取ることがたぶんできないと思う。それがほんとうに、ほんとうに怖いんです。だけどバイリンガル教育の道は険しいなんてもんじゃなくて、考えるたびに気が遠くなりそう。

でも私はまだ恵まれている。日本語のプレスクールもあるし、日本語補習校だってあるし、行かせたいと思えば塾だって通信教育だってある。選択できるんだもの。母国語を子どもに教えたくてもその環境がなくて、諦めてしまう人はいっぱいいる中で。

いい先輩もたくさんいるし。お世話になります先輩(←ずうずうしい)。

☆☆

アメリカという海で泳ぎ方がわからなくってじたばたしていたときに出会ったのが、先日日記に書いた人でした。その人はたぶん私より何百倍も苦労した時代に生きて、でも日本人らしさを忘れずに凛と泳いでいました。その人との時間は、私にとってとても大切でした。アメリカと戦わなくていい、どこにいても自分は自分。それでいいんだって思えて楽になりました。もっといろんな話を聞きたかった。異国での子育ての話も。

出会えてほんとうによかった。

男の子はかわいい

よく、男の子って大変でしょと言われたり、妊娠中に性別を聞かれ男の子と答えるとあからさまに悲しそうな顔をされるという話を聞きます。私はあんまりそういうことがなかったのだけど。というのはぼんずの周りには男の子が多いから。でね、前も書いたかもしれないですけどね、

男の子ってかわいいのー。

そりゃ、あふれるエネルギーを発散させるべく毎日公園に行ったり、わけのわからん車遊びに付き合ったりするのは大変なこともあるけど、おかげで体が前より丈夫になった気がするし、電車の種類なんて私のほうがはまったりして、新しい発見もある。次は女の子、と思っていたこともあったけど、もしもう一人授かれるのなら、男の子がいいと思います。

2歳半の男の子、すっごくかわいいです。私が離れたところでしゃがんでぱーっと手を広げると、ぼんずはものすごく嬉しそうな顔をして手を広げて駆け寄ってくる。どういたしまして、が言えなくて「どうましあて」になってる。なんすかその母性本能のくすぐり方。あーあいつまでもこうしていられたら。オムツなんてはずさなくていいよぶっちゃけ。すね毛なんかはえんでいい。いやあでもほんとにヤバいマザコン男に育てそうで自分が怖い。男の子のおかあさんは、わが子を過剰に守りがちになっちゃうんですって。

でも時は容赦なく流れていく。もう周りでちらほら、デイケアやプレスクールの話が本格化してきました。私はもう入れるところは決めてるのだけど、いまは時期について悩んでる。来年の夏から入れようかと思っていたけど、もっと早いほうがぼんずにはいいのかなと。あーあ24時間一緒にいる時期なんてあっという間に過ぎるんですね。って何をかいてるんだあ。

ゆるみすぎ

ぼんずが成長したなあと思ったら気が緩みました。

YouTube祭りに花を咲かせてしまい、ビデオをダウンロードしてぼんずが見る専用ののりもの集のDVDを作ったり、映像ファイルを音声ファイルに落としてiPodに入れたり、忙しいっす。なにやってんだ私。

そんなことやってたら昨日夕方にぼんずは3時間も昼寝してしまい、当然夜眠れるわけもなく、寝そうになる私を2時間小突いて私がキれ、昼寝させるあんたがいけないとオットーさんに怒られ。たはは。規則正しい生活をせねば。あたしに返ってくるんですよ眠いよ。寝過ごして弁当作れなかったよ。あほうあほう。

なんだかんだと自分の時間が増えてきて、ぼんずがお留守になりそうになりました。こんな日がくるとは。余裕がでてきたってことでしょうか。